2012-05-09 Wed
彼は強持ての風貌をしているが繊細な心と温かい愛情を妻のスーザンに持っている。いつでもスーザンの肩やお尻に手を置いている。北米牛獣医師協会の会長を務めたほどの大物であるが、次期会長を選出する選挙にまつわる政治的画策や闇取引を見てすっかりその世界に嫌気がさし50才を過ぎて酪農家のオーナーマネジャーになった。ミシガン州のサンディーリッジ農場である。600頭のホルスタイン農場である。メキシコ人と白人のハーズマンと子牛担当者の女の子雇っていた。彼は雇用人を使う名人である。ウォーキングアラウンドマネジメントという独特の手法を使う。毎日すべての雇用人が働いている現場を訪れたたあいのない世間話をする。彼らに関心を持っていることを示すのである。仕事ぶりも観察するが決して仕事の話はしない。後から個人的に読んで優れたところを称賛し、欠点のあるところは建設的な提案をする。
彼は大学を出た後、ピースコー(ケネディー大統領の発展途上国援助部隊)としてアフリカに渡り、そこで教官にまで出世した。そこでスーザンと知りあった。スーザンもピースコーの一員であった。帰国後彼はイリノイ州立大学の獣医学部に入り獣医師になる。卒業後カリフォルニア大学の研究員になったり開業獣医師になったりしたが、獣医師の社会的地位の低下を痛感する。Braun Arming(直腸検査をして腕が茶色になること)をしても助手も提供されない第四胃変位の手術をしていてもオーナーは顔も出さない。オーナーにとっては牛が1頭死ぬか死なないかよりもエサの価格交渉の方が農場にとって重要なのである。獣医師に経営に関する相談など決してしない。民間のコンサルタントを重視する。彼はプロダクションメディシンを展開する必要を痛感する。現在はカリフォルニア州のパスコで34000頭のジャージーの農場のマネジャーをしている。ドーベルマンが訪問した時は、忙しいのに一日中案内してくれ、ホテル代まですべて払ってくれ家に招いて娘さんも一緒に美味しいワインと質素な食事をいただいた。娘さんは美人で現在、イギリスで俳優学校で女優になるべく勉強している。
パスコの農場は巨大であるので全体像の写真が撮れない。精密な経営をしている。彼はスペイン語に堪能なのでメキシコ人が大部分であるのでマネジメントで圧倒的に有利である。カーフハッチが何百も並んでいるがすべて哺乳ボトルでミルクを与えている。専用の車にボトルを乗せ運転する人とボトルを投げる人がいる。帰りにボトルを回収するが全部飲んだ子牛のボトルは引き揚げ、少しでもミルクを残した子牛のボトルはそのままにしておき、後から健康チェックにいく。
ミルクは全てチーズ生産プラントに出荷する。先進国では乳製品のなかでチーズとヨーグルトしか生産が伸びないことをよく知っているのである。もう一度訪問したい農場である。

2012-05-04 Fri
ここのお菓子はやや高いが大変美味しい。パティシエもすべて女性である。EIは接客態度が良く関西に行きたいらしい。店には地下室があり311の地震の時はそこに隠れたと言っていた。事務所のスタッフは皆そこのお菓子が好きでドーベルマンは時々、おやつに買ってあげた。カスタードのシュークリームは安くて美味しい。クリニックに行くときは、今でもシュークリームを買う。義母はシュークリームを喜んで食べるが、大福だと家に持って帰る。いずれにしろシェシーマはEIが看板娘でその笑顔で売り上げが伸びていると思う。「色白は七難隠す」というが最初から色白で難がないのだからEIはいうことがない。店の社長は喜んでいるだろう。

2012-04-26 Thu
この酪農家は夫妻で研究熱心で新しい機材を買ったりしないで、古い機材を近隣の酪農家からもらってきて、修理したり組み立てたりして活用する。ハーベストアサイロの頂上を下して事務所に改造し、あらゆる電子機器を備えて映画館の機能もある。Charles Sniffenはここで初めて映画「タイタニック」をみて感激していた。自分が住んでいる所は映画館などないからでである。この農場の夫と四人兄弟は全員ドーベルマンとアメリカに行っている。長男は東京で専門学校に行きながら新宿の高層ビルでアルバイトをしていたが、過労で亡くなった。ドーベルマンはFSと次男をエスコートして会社に談判に行き、勤務記録を示すように言った。無茶な使い方の実態を見て怒りがこみ上げ「こういう時は相当額の弔意を表す見舞金を出すのが当然である」と恫喝した。子供チームでアメリカに連れて行った子供は皆可愛い。その子が亡くなったことは容認できない。ドーベルマンは味方につけると心強いのだ。
会社の交渉相手の上司が部下に耳打ちをすると、部下は部屋を離れ、間もなく現金を包んで差し出した。不満な額であるが、無いよりましなので受け取るように促した。それ以上恫喝すると脅迫罪になる。
S牧場にはあらゆるアメリカのコンサルタントを投入した。助言したことを次に行った時には、どんな細かいことでも必ず実現するからである。イネ科牧草の若刈りのグラスサイレージ作りの名人である。古いレシプロ型(バリカン)を何台も持っていて1個小隊をアルバイトを編成し一気に刈る。添加物を加え、当時は一輪車で一日中給飼しないと間に合わないくらい嗜好性がよい。
こんな酪農家ばかりだと日本の酪農も競争力が強い。見かけの良いトラクターや牛舎に無暗に投資するのは愚かである。夫妻の父親はドーベルマンと同い年で鹿撃ちのの名人である。末の息子が後継ぎは末の息子がやるらしい。支笏湖の高級ホテルのパティシエをやっている息子もいる。






